寺社を行く。

国内の寺院や神社を訪れ、見所などを紹介します

和歌山・根来寺②

この時期になると、暑さも我慢なりませんが、寺社へ行くと涼やかな情景が広がっているので、足を運ぶ方も多いのではないでしょうか。

 

緑が多いというのがポイントですかね。木陰から望む堂塔の美しさはひときわよいものです。

 

 

前回に続いて、根来寺ですね。

 

根来寺にはいま、建造物はそんなに建っていません。根来寺では戦国時代、大きな勢力を備えられており、当時の風物を書いた宣教師ルイス・フロイスの「日本史」にも紹介されています。それがあだとなったのか、信長を見ていたせいでしょう、寺社勢力をおそれた豊臣秀吉は1585年3月に根来寺に攻め入り、ほぼすべてを消失してしまいました。

 

・大塔

代表的な建造物は、ずばり「大塔」です。高さ40メートルもあるので力強さは想像以上です。国宝に指定されている立派なものです。日本最大の木造多宝塔らしいです。

根来寺のホームページでも推されているのですが、日本で唯一、国宝指定の大塔内に入って参拝ができるのです。

多宝塔型の塔で真言密教の教義を体現したものです。密教では曼荼羅が重要なのですが、それを具現化したもののひとつととらえてください。

秀吉の根来攻めの40年ほど前に完成したもので、焼き討ちでは大きな被害を受けずに今日まで姿を残しています。

焼けなくてよかったな、と実物を見て思いましたね。これだけ大きいと真っ先に狙われて火をつけられてしまいそうですが、無事でした。

根来衆と呼ばれた僧兵たちが必死になって守ったのがありありと目に浮かびます。

 

 

ほかにも大門や一乗閣など見所は多くあります。

 

今回はここまで。

 

 

和歌山・根来寺①

和歌山にもよく訪れていました。

 

和歌山といえば、白浜やアドベンチャーワールド。熊野や高野山和歌山城など観光で訪れるところは本当に多いですよね。

 

寺社めぐりだけでなく、旅行も好きなので、和歌山にもよくいったんです。ほとんどすべての自治体を訪れましたし、代表的なスポットは踏破しています。

 

根来寺

ここで、今回紹介したいのは根来寺なんですが、

根来寺は、和歌山北部にありまして、大阪との府県境目にある岩出市にあります。

 

根来寺は、敷地内でのポケモンGOの利用を一切禁止したことで話題になっていましたね。

 

前回に紹介した比叡山延暦寺と同じく僧兵の寺として知られています。

岩出市のキャラクターも僧兵をアレンジしたものでした、たしか。

 

そんな根来寺ですが、私が訪れたのはいずれも新緑まぶしい5月ごろ。

見所紹介の前に、概要的なことも記しておきます。

 

新義真言宗

根来寺の宗派は「新義真言宗」といって、真言宗とはまた少し別のものになります。ルーツは前回に触れた空海です。空海が入定した後、その300年後に高野山真言密教を修業した覚鑁は、教学復興の拠点とし根来寺を開きました。

しかし、豊臣秀吉が攻めてきて、堂や経文、宝物が焼かれてしまったのです。その辺の歴史もおもしろいのですが、割愛します。
で、徳川頼宣の時代になり、復興されたのです。その後、1953年に「新義真言宗」となったのです。細かい部分は難しいのですが、大日如来が説法のために加持身となって教えを説くとする説を唱えているあたりが、ほかの真言宗と異なっています。

わかりやすくまとめた本もありますので、そちらを読んでもらえると真言宗を理解できると思います。

 

密教は個人的には好きな宗派です。山岳信仰についてもいずれ記したいと思いますが、その辺の違いについて自分ももう一度、学びなおしたいと思います。

 

長くなってしまったので、今回はここまで。

 

次回は、根来寺の見所ですね。

 

 

 

滋賀・延暦寺④

前回に続いて最澄についてです。

 

最澄空海に比べると少し影が薄いですよね。空海にまつわる逸話はよく聞きます。

どこどこで池をつくった、この寺院をつくったのは空海だ、空海がここで修行したなど。高野山比叡山のようなものですが、四国八十八箇所めぐりなども空海を意識される方は多いでしょう。

 

そこで、空海との対比として最澄を知ることができる書籍を紹介しましょう。

小学館から出ている「最澄空海」(梅原猛)は入門書として読みやすいかと思います。

最澄と空海―日本人の心のふるさと (小学館文庫) | 梅原 猛 | 本 | Amazon.co.jp

いくつかの論文をまとめたようなテイストなので、重複する箇所もあるのですが、覚えやすいと思います。重ねて出てくるので。

 

最澄空海が偶然にも、同じ遣唐使団として唐に入っているんですよね。しかし、最澄は国費で、空海は私費なんです。そんなことが読みやすくまとめられています。

最澄は目立たないんですけど、いまにも通じるはっきりと打ち出された教育論をもとに、比叡山に修業の場を形成したことが著しく評価されてもよい点でしょう。

さらに、比叡山戒壇院設置を朝廷に認めさせたことでも国内仏教に変革を与えたことなど、宗教家として大仕事をやりとげています。

そのあたりのことなど、空海と対比していっきょにわかりやすい文体で読めるので、この書物を推したいです。

 

 

次回は、滋賀・延暦寺を離れ、別な寺社を紹介できたらと思います。

滋賀・延暦寺③

今回も延暦寺について書いていきますね。

今回は
最澄についてです。最澄空海と双璧をなす平安仏教の中心的人物でした。
教科書で写真つきで載っていますよね。
女性のような井出達だったため、てっきり勝手に女性だと小学生の頃は思い込んでいました。


最澄は、現在の滋賀県大津市で産まれました。
空海と同じように中国へ渡って修行、学習して帰ってきます。
そして日本天台宗の開祖として、比叡山延暦寺を開創しました。

最澄の歴史や人物像を知るにあたっていくつかの書物があるので、
おすすめしたいです。





次回は、その書籍について書いていけたらと思います。

滋賀・延暦寺②

前回の記事に引き続いて、

延暦寺について書き記していきます。

 

堂塔について紹介したいですが、まず、目を引いた「根本中堂」からいきましょう。

 

根本中堂は、国宝に指定された建造物です。

 

最澄が建てた「一乗止観院」の後身です。いま建っているものは、織田信長の焼き討ちの後に、1642年に徳川家光が再建したものです。

 

造りは入母屋造で幅37.6メートル、奥行23.9メートル、屋根高24.2メートル。大きさは圧巻ですよ。中堂の正面には石段があるんですが、その階段上から見ると、屋根の大きさ、美しさがよくわかります。

 

内部には3基の厨子があり、中央の厨子には最澄自作とされている秘仏薬師如来立像を安置されています。

 

開創1200年を記念した1988年に一度開扉されたことがあるそうです。ぜひ見てみたいですが、ほぼ不可能でしょうね。

 

あと、最澄の時代から続いているという「不滅の法灯」があります。この法灯は信長の焼き討ちで一時、途絶えましたが、山形県立石寺に分灯されていたものを移していまに伝わっています。

 

中堂を取り囲むように桧皮葺の屋根つき塀が並んでいます。その桧皮葺のきれいな葺き方にも注目してもらいたいです。木の美しさが伝わってきますよ。

 

 

ほかでは文殊楼」も印象に残っています。

 

朱色の楼門で、中には文殊菩薩像が安置されています。

春先に訪れた際、周囲の緑色に楼の朱色がひときわ美しかったです。ほかの観光客の方たちも足を止め、カメラを向けていました。

 

そして見ておきたいのは「東塔」でしょうか。

このエリアの代表的建造物ですね。天台や真言の寺院にはよくある多宝塔型の塔す。ただ、サイズが大きく、通常の多宝塔とは違って上の部分は平面の円形ではなくて方形となっています。塔内には、大日如来像などが安置されています。

 

 

これらは東塔エリアにある建造物です。

ほかに横川エリア、西塔エリアがあり、すべてを見て回るのは結構時間がかかりますよ。

比叡山の地図です。Google マップ

 

 

 

次回は、創建した最澄にクローズアップしてみたいと思います。

滋賀・延暦寺①

二つ目の寺院は、比叡山延暦寺です。

 

ここには2回、おとずれたことがあります。車でいずれも向かったのですが、くねくねとワインディングロードを走った先に琵琶湖が木々の間からのぞいた光景に感動を覚えました。

 

延暦寺は、平清盛と反目した僧兵集団や、織田信長の焼き討ちに遭うなどした歴史が印象的で、興味を持ちました。

 

寺域は非常に広大で、「根本中堂」の屋根は壮大でした。境内に咲いた石楠花の花がかぐわしかったのが思い出されます。

 

歴史的なことをまとめると、

標高848メートルの比叡山全域を境内とする寺院で、奈良のお寺の総称「南都」に対する呼び方として、平安京(京都)の北側に位置したため北嶺(ほくれい)と称されました。南都北嶺ですね。最盛期には3000ほどの寺社が建立されていたそうです。

延暦寺は、平安時代初期の最澄(767~ 822年)にって開創された日本天台宗の本山です。最澄空海と並ぶ人物で平安仏教の中心的人物です。

そのトップは天台座主です。1994年には、古都京都の文化財の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。

延暦寺からは、日本天台宗の基礎を築いた円仁、円珍や、融通念仏宗良忍、浄土宗の法然浄土真宗親鸞臨済宗栄西曹洞宗道元日蓮宗日蓮など数多の名僧が出ました。みな、教科書に出てくるレベルの人たちですね。

現代に残る仏教の主要な宗派です。

 

2回行ったと前述しましたが、特に記憶に残っているのは、冒頭でも触れた根本中堂ですね。

一度目に訪れたときはまだ、雪の残る晩冬の時期で、根本中堂の脇には1メートルほどつみあがった雪が目を引きました。

 

今回はこれくらいにして、次回では、根本中堂についてまとめてみたいと思います。

 

 

 

 

奈良・興福寺④

興福寺の紹介の四つ目の記事となりました。

 

東金堂や五重塔、北円堂、阿修羅像のほかにも

たくさん見所はあります。

一度に訪れてもすべてを回ることは難しいと思うので、何度も足を運んでもらいたいですね。きっと、興福寺のほかにも東大寺元興寺など、まとめて訪れることが多いでしょうから、ひとつのお寺にかけられる時間も限られていると思います。

 

興福寺のほかの見所

重要文化財にはなりますが、「南円堂」も趣があります。建造物自体は、江戸時代に立てられたものです。

西国三十三所の第九番札所としてたくさんの人が訪れる場所です。平安時代に入って少したった813年に藤原冬嗣が父の内麻呂を追善するために建てられました。

 

本尊は、国宝指定の「不空羂索観音菩薩像」で、法相六祖像、四天王像が安置されていました。10月17日のみが一般公開日で、私も拝観にいきました。一年に一度しか見られない、いわゆる秘仏ですね。大般若経転読会の際の御開帳です。
円の中心に位置する菩薩像は大きく、あまねく衆生を救われるというお姿そのものでした。一見の価値はありますよ。

 

ほかにも、色々と紹介したいのですが、また時を改めたいと思います。

 

最後に興福寺の基本情報を載せておきます。

 

 

 
住所・奈良市登大路町48番地
アクセス・近鉄奈良駅」東改札下車徒歩約5分
定休日・年中無休

拝観時間・ 9:00~17:00(入館は16:45まで)
電話番号・寺務所 0742-22-7755
     国宝館 0742-22-5370
     南円堂納経所 0742-24-4920
     駐車場 0742-22-4096
料金 国宝館 大人600円・学生500円・小人200円
           東金堂 大人300円・学生200円・小人100円
             (共通券、団体割引も)
公式サイトURL・http://www.kohfukuji.com/

※上記の情報は更新されていることもありますので、公式サイトでのご確認をよろしくお願いします。

 

 

以上、興福寺の代表的な見所でした。

また、訪問したときは情報を更新したいです。