寺社を行く。

国内の寺院や神社を訪れ、見所などを紹介します

奈良・興福寺①

奈良市興福寺を訪れたときのことを書き記そうと思います。

どのお寺から紹介しようか迷いましたが、印象に残っていることから取り上げることを決めました。

 

私自身、何度も訪れたことがあるお寺で、日本史でも習う有名なお寺ですね。

奈良を代表する観光名所のひとつになっています。

 

 

まず歴史から紹介したいと思います。

興福寺法相宗大本山ですね。法相宗も教科書に出てきた記憶があります。南都六宗のひとつでしたっけ。

 

起源は、天地天皇の時代の「山階寺」。のち飛鳥に移った「厩坂寺」が前身とされています。

 

創建の経緯ですが、

天智天皇の時代の669年に藤原(中臣)鎌足が重病を患ったとき、妻の鏡女王が鎌足の病気平癒を祈って、鎌足がつくった釈迦三尊像や四天王像を安置するために造営したものと伝えられているそうです。その場所が山階陶原で、その名が使われました。

その後に起きた672年の壬申の乱後、飛鳥に都が移された際に、山階寺が移建され、その地名から厩坂寺となりました。

そして、平城京に都が遷都されるとき、藤原不比等の案によって厩坂寺が移され、名前も「興福寺」と改められました。

天皇藤原氏など重要な人物によって整備が進められ、奈良時代には「四大寺」、平安時代には「七大寺」の一つとされるなど、寺の勢力はかなりものでした。


春日大社とのかかわりも深く、大和国を領地とし、鎌倉時代室町時代には幕府は大和国に守護は設置されず、興福寺が担いました。徳川政権下の江戸時代においても石高が定められるなど衰えることはなかったそうです。

 

明治時代に出された神仏分離令廃仏毀釈などで、残念ながら興福寺は荒れてしまいました。しかし、その後は地域の人々や協力者などの力で復興がなされ、いまの興福寺にいたっています。

 

見所は建造物でいえば、

国宝にも指定されている五重塔や東金堂、北円堂が美しいですね。

五重塔は高さ約50メートルで、730年に不比等の娘である光明皇后が建立しました。なんと5回もの焼失に見舞われましたが、室町時代に再建されました。

創建時と同じ場所に立っており、往時をしのぶことができます。創建当初は約45メートルで日本で2番目に高い塔だったそうです。現在でも薬師、釈迦、阿弥陀、弥勒それぞれの三尊像が安置されています。

まっすぐと天に伸びる姿はりりしく、木質を感じ取れる建造物です。若草山の山焼きのとき、花火が上がるのですが、花火の手前にこの五重塔のシルエットがきれいに浮かび上がります。

 

また、東金堂も有名ですが、

726年、時代は聖武天皇のころ、聖武天皇が叔母の病気治癒を願って造立されたと伝わります。いま拝観できるのは、1415年に再建されたものです。本尊は薬師如来像で、両脇に日光・月光菩薩像。四天王像などが並んでいました。

 

北円堂は、独特な形状で、印象に残る人も多いかと思います。私もこんな建造物はほかでは見たことがなかったです。

八角円堂なのですが、現存する同様の建造物のなかでも最も美しいと人気が高いです。不比等の一周忌にあわせ、元明元正天皇が、日本史にも登場する長屋王に命じて建てさせたとのことです。
伽藍の中では西の隅っこに立っているのですが、高台になっていて、奈良の都を眺望できる場所です。

 

次回も興福寺の魅力、仏像の美しさを紹介しようと思います。